今日研究室のポスドクの方(中国人)に「自分は帰りたいのだが、居室に他の人がいない。部屋を閉めていったほうがよいか。」というようなことをきかれました(英語で)。
そこで「彼は食事に行っている。部屋の鍵は閉めなくてよい。」と、答えようとしましたが、情けないことに「食事に行く」の英語が出てこなかったのです。うーん、「買い物に行く」はgo shoppingだけどgo eatingなんて言わないよな・・・。仕方ないので当てずっぽうで「He goes to dinner.」と答えたのでした。まあ、言いたいことは伝わりました。
調べてみると、go to dinnerは食事に行く、という意味で正しかったようです。でも、やっぱり駄目なのです。時制がおかしい。その人は食事に行って今部屋にはいないのだから、「He has gone to dinner.」でしょう。
こんな中学生レベルの英語も満足に出てこないというのは、結構絶望的な気持ちになれます。
よく日本人は英文法はできても、英語をしゃべることはできない、等と言われます。なぜでしょうか。思いついたことを書いてみます。
まず、文法はわかるとは言ってもほとんどの人は実際に使えるほどには身についていないということ。上記の僕の時制の間違い然り。こんなものは試験だったらみんな間違えないのでしょうが、会話だとつい言ってしまいがちです。
単語は知っていても、「その単語を使って、こんな言い回しが可能なのか」ということが判断できない。やはり上記の例だと(結果的には正しかったが)、僕はgo to dinnerという言い回しが可能かどうか自信が持てませんでした。goにしろdinnerにしろ誰でも知っているような単語なのですが、これらをつなげると途端に怪しくなります。もちろん知っている人にとっては何でもないのですが、知らない人にとっては永遠にその言い回しは使えないということです。こういうものは一つ一つ使える例を自分で増やしていくしかないのでしょう。
ちょっと話はずれますが、日本人は発音が苦手というようなことをよく聞きます。思うにこれは単に訓練不足ではないでしょうか。辞書にはせっかく発音記号が載っているのに、わざわざカタカナ発音を書き込んだり。日本語にない発音を練習してみようとしない。単語は覚えても発音、アクセントは気にしない、といった感じです。
何だかんだ言って、こういうものは少しでも練習を積み重ねるしかないのでしょう。
なお、以上の考えは、「國弘流英語の話しかた」(Amazonにリンク)という本の影響を大いに受けております。
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