ラベル 雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
2009-10-05

官僚批判について

とかく、官僚というと悪いイメージが付きまとう。
やれ、天下りだの、利権がどうの、縦割り行政だの、官僚体質がどうの、と。
それに関連して公務員一般についても民間に比べて給料が高いということでよく批判される。

確かに、官僚・公務員(と一言でくくってしまうのはあまりに乱暴だが)の中にはトンデモな輩もいるかもしれない。また、公務員の給料が一般に安定しているのも事実だろう。改善すべきことは色々あるに違いない。

しかし、どうも世間では感情的に官僚・公務員を罵倒するような声ばかりが耳につく。合理的な批判ならともかく、悪意、憎悪、やっかみ、そういったものしか感じられないようないわば悪口である。

ここで、考えてみる必要がある。今の日本を作ったのは誰だろう。戦後の復興を担い、経済成長を実現させたのは。そして、今の日本を(国家という立場から)動かしているのは誰だろう。その多くの部分は官僚・公務員によっている。
もちろん民間の大半が消滅すれば日本は立ち行かなくなるが、官僚・公務員がいなくなれば国の秩序・土台そのものがなくなってしまうのだ。日本という国が形をなさなくなるということだ。かように官僚・公務員の存在は大きい。

だからといって、官僚・公務員に付随する問題を全て黙認せよ、と言っているわけはない。しかし、彼らがいなければ日本は1日たりとも回らないというのに、無責任にも彼らに対して罵詈雑言の限りを尽くすという行為は許せない。僕は、建設的な批判ではなく好き勝手な誹謗中傷を行う人に対して、怒りを覚える。

僕自身、詳しいわけではないので、具体例もなく抽象的で(したがって感情的な)文章になってしまった。以下のWebページでは、国家公務員として働いていらっしゃる方が、その実態を語っておられる。単に読み物としても面白いし、もし変な偏見、誤解を持っている方が読めば、それも解けるだろう。

国家公務員はこんなもんですよー - 明るい!?国家公務員のページ

2009-08-30

論文を読むこと

理系の大学院生・大学生ならば、多くの人が日常的に論文を読んでいると思う。
僕ならば、自分の研究に関連する研究、先行する研究の論文は読むし、反応を仕込む際に似たような反応が載っている論文の条件を参考にする、という使い方をすることがある。他の分野の人は知らないが、化学(有機化学)を専攻している人はたいていこのように必要に迫られて論文を読むだろう。
また、そうでなくてもちょっと気になった論文をざっと流し読みするということもある。

以上のように何かの必要があって論文を読むときや流し読みをするときというのは、文章全体をじっくり細かく読むのではなく、大事なところだけ拾いつつ素早く読む必要がある。たいていの日本人は母国語を読むのと同じ速さで英語の論文を読むことはできないだろうから、そのような読み方をしなければ数をこなすことができない。読むべき論文は山のようにあるのだ。

このように要所要所をおさえて、素早く論文を読む技術というのは研究していくうえで絶対に必要であろう。

ところで、大学院生・大学生というのは職業的に研究を行う人(教授などアカデミックポストに就いている人、ポスドク、企業の研究員等)と違って、宿題として論文を読まなければならないことがある。すなわち「この論文を読んで要旨を述べなさい」とか「評価しなさい」といった課題が出るときだ。
このような課題が出たとき普通の人はどのような読み方をするのだろう。別に知り合いにきいて回ったわけではないからわからないのだが、もしかしたら課題をさっさとすませようと流し読みをする人もいるのかもしれない。

しかし、このようなときはぜひ腰を据えてじっくり読んだほうがよい、と僕は考える。僕だったらアンダーラインを引っ張り、わかりにくい反応があれば巻き矢印を書いて反応機構を考え、必要ならば参考文献も読む。

論文を読むとき、多くの場合は先ほど述べたような流し読みをするだろうから、このように精読をする機会というのは他にあまりないと思う(もちろん自主的にそのような読み方をするなら別だが)。ああでもない、こうでもないと頭を働かせ、知らないところは調べ、ときには仲間と議論し、自分の納得のいくレポートが書けるまで考えていれば、きっと論文を読む前に比べて大きく成長するだろう。流し読みをしていても、その論文の内容の大枠はわかるかもしれない。でも、このように徹底的に読めば新しい概念が身につく。多くの知識を体系的に得られる。ただ論文を読んでいるだけのはずなのに、教科書を読んだり、授業を受けたりしているような効果が得られるわけだ。

なんか偉そうな言い方になってしまったが、せっかくの機会だから課題で出た論文はじっくり読んでみたらいいんじゃないかという話。

2009-08-27

我が英語力の無さを嘆く

今日研究室のポスドクの方(中国人)に「自分は帰りたいのだが、居室に他の人がいない。部屋を閉めていったほうがよいか。」というようなことをきかれました(英語で)。
そこで「彼は食事に行っている。部屋の鍵は閉めなくてよい。」と、答えようとしましたが、情けないことに「食事に行く」の英語が出てこなかったのです。うーん、「買い物に行く」はgo shoppingだけどgo eatingなんて言わないよな・・・。仕方ないので当てずっぽうで「He goes to dinner.」と答えたのでした。まあ、言いたいことは伝わりました。

調べてみると、go to dinnerは食事に行く、という意味で正しかったようです。でも、やっぱり駄目なのです。時制がおかしい。その人は食事に行って今部屋にはいないのだから、「He has gone to dinner.」でしょう。

こんな中学生レベルの英語も満足に出てこないというのは、結構絶望的な気持ちになれます。

よく日本人は英文法はできても、英語をしゃべることはできない、等と言われます。なぜでしょうか。思いついたことを書いてみます。

まず、文法はわかるとは言ってもほとんどの人は実際に使えるほどには身についていないということ。上記の僕の時制の間違い然り。こんなものは試験だったらみんな間違えないのでしょうが、会話だとつい言ってしまいがちです。

単語は知っていても、「その単語を使って、こんな言い回しが可能なのか」ということが判断できない。やはり上記の例だと(結果的には正しかったが)、僕はgo to dinnerという言い回しが可能かどうか自信が持てませんでした。goにしろdinnerにしろ誰でも知っているような単語なのですが、これらをつなげると途端に怪しくなります。もちろん知っている人にとっては何でもないのですが、知らない人にとっては永遠にその言い回しは使えないということです。こういうものは一つ一つ使える例を自分で増やしていくしかないのでしょう。

ちょっと話はずれますが、日本人は発音が苦手というようなことをよく聞きます。思うにこれは単に訓練不足ではないでしょうか。辞書にはせっかく発音記号が載っているのに、わざわざカタカナ発音を書き込んだり。日本語にない発音を練習してみようとしない。単語は覚えても発音、アクセントは気にしない、といった感じです。

何だかんだ言って、こういうものは少しでも練習を積み重ねるしかないのでしょう。

なお、以上の考えは、「國弘流英語の話しかた」(Amazonにリンク)という本の影響を大いに受けております。

2009-08-08

外国の教科書

海外(具体的にどこの国かは失念した)の教科書は、分厚くて内容も充実しており演習問題も豊富である、一方、日本の教科書は質量ともにペラペラである、という話をよく聞く。

しかし、ここで一つ疑問が湧いた。日本人ほど勤勉でない(というのは偏見だが)国の子供が、そんな教科書を読みこなせるのだろうか。

2006-12-28

コミケ

明日(2006年12月29日)は、コミックマーケット71の1日目である。 関心のあるもので主なものは、『ひだまりスケッチ』(FC(青年))、ドラクエ(ゲーム(RPG))ということになるだろうか。