2009-12-13

行政刷新会議事業仕分けへの意見募集(文部科学省所管)に意見を送ってみた

行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください

とある通り、文部科学省が事業仕分けに対しする意見募集をしていたのでメールを送ってみた。

全文は以下の通り。かなり感情的になってしまったが、こんなところが自分の素直な意見。

件名 事業番号13:競争的資金(若手研究育成)

文部科学副大臣 中川正春さま
文部科学大臣政務官 後藤斎さま

私は、現在大学院の修士課程で化学を専攻している学生です。このたびの事業仕分けに関し色々思うところはありますが、理系学生という立場から表題事業にしぼって意見を述べます。

まず、全体として博士課程学生およびポスドクの人々を「厄介者」、「自分では稼がず養ってやらなくてはならない人種」と思われる方が少なからずいらっしゃることを大変残念に思います。評価コメント (http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov13kekka/3-21.pdf) には、「実社会から逃避」、「ポスドクの生活保護」という 言葉が見られましたが、ポスドクとして大学に残るという選択は「実社会から逃避」してフリーターになるという選択とは本質的に違うものと考えます。
博士課程に進む者の中には、大学などの研究機関に籍を置き研究を続けていきたいと考える者が多くいます。また、ポスドクという選択は単に定職を得るまでのつなぎというだけではなく、研究者としてステップアップするための修行期間としての側面も持っています。つまり、博士課程、ポスドクという道のりは就職できなかった者が、どうしようもなくはまり込んでしまう袋小路というわけではなく、将来職業的研究者としてやっていくための養成課程であるということです。多くの学生、ポスドクが自分なりのビジョンを持ち、(収入という面では)不安定な身分でありながら、日々研究に励んでいるところへ、前述のような言葉を浴びせられるのは精神的に辛いものがあると思います。予算編成の際には、是非「博士課程」、「ポスドク」に対する意識を改めて臨んでいただきたいと希望するものであります。

もう一つ申し上げたいのは博士課程学生、ポスドクというのは研究の中核を担う存在であるということです。仕分け人の方々がどのように認識されているのかは存じ上げませんが、もしかしたら研究計画を行うのは全て教授であって博士課程学生、ポスドクはその下で単に駒となって動いているだけと考える方もいらっしゃるのかもしれません。しかし、実際には研究の大まかな方針はともかく、具体的にどのように実験を進めていくかを考え、場合によっては下級生(修士課程学生や学部学生)を指導しながら研究を進めているのは博士課程学生、ポスドクです。すなわち、これらの人々は研究者として養成中でありながら、すでに一人の研究者なのです。それにも関わらず彼らは正式な労働契約を結ぶわけでもなく、日々働いています。これは相当献身的とはいえないでしょうか。本来ならば、彼ら全てにしかるべき対価と身分を保証すべきであると個人的には感じます。少なくとも、一部への支給とはいえ特別研究員奨励費は堅持すべきであると考えます。

------ ※上記文章中に述べた博士課程およびポスドクの実態というのは、文部科学省のみなさまは重々ご承知のことと思いますが、予算編成に当たっては専門外の方にもこれらのことが伝わるように望みます。 ------

なお、博士課程の目的としてアカデミックな方向だけでなく、民間企業への就職をも重視すべきだという意見に対しては大いに賛同いたします。先に述べましたように博士課程が大学などの学術機関の研究者養成のみに固執し、民間への人材を提供するという役割を軽視してきたのは事実だと思います。幅広い選択肢を視野に入れるべく、適切な改革が行われることはよいことであると思います。

最後に、今回このような意見を表明する場を特に設けてくださったことを感謝いたします。
また、日本の学術研究の振興のため、日々業務にあたっているみなさまに感謝いたします。

ところで、この文部科学省の意見募集っていわゆる「パブリックコメント」ではないんだよね、多分。パブリックコメントの検索でも出てこないし。

パブリックコメント・キーワード検索(意見募集中案件一覧)

2009-11-15

ディスクイメージ作成時に発生したトラブルとその解決

最近、Keyの有名ゲームAirを買いました(もちろん中古品)。

このゲームのパッケージ中には、Blue DiskとOrange Diskの2枚があり、インストール後にはOrange Diskをドライブに挿入してプレイするようになっています。

そこで、インストール後Orange Diskのディスクイメージを作成してCDを入れなくてもプレイできるようにしようと思ったのですが、エラーで作成に失敗してしまいました。
使用したソフトはAlcohol 52%でcue形式でイメージを作成を試みました。が、作成途中にエラーが出てしまったのです。ものは試しで、できたファイルを同じくAlcohol 52%でマウントしようとしたところ、「(なんたらかんたら)がファイルの末尾をこえています」とかいうエラーが出てマウントできなかったのです。

実は、以前Kanonのディスクイメージを作成しようと思ったときもトラブルがあった記憶はあるのですが、今回と同じ事態が起こったのかはさっぱり覚えていませんでした。しかし、その後何らかの方法で正常なディスクイメージを作成できているので、当時は解決できたはずです。手がかりを探そうと、Kanonのディスクイメージを保存してあるフォルダを開いてみたら、正常なcueファイルKanon.cueのほかにxKanon.cuexというファイルがありました。これは多分、僕が正常なKanon.cueを作成する前に、正常に使えない古いcueファイルを念のためリネームしてとっておいたのだと思われました(昔のことなので具体的に何を考えていたのかは覚えていない)。
最初に考えたのは、Alcohol 52%により正しいcueが作れないため、僕が手動でcueファイルを編集していたという可能性でした。というのも、先ほどのKanon.cue(正常。実際にマウントできる)とxKanon.cuex(おそらく正しくマウントできない)の内容が違っていたからです。
「うーん。そうなったら面倒だな。やり方覚えていないから、また調べなきゃいかんな。」
そう思って、Webで検索して調べてみたのですが望みの情報にたどりつくことはできませんでした。
しかし、そこでふとひらめきました。僕はディスクイメージを作成するとき、CDの種類をNormal CDとして作成していたのですが、Airは音楽部分がCD-DAで入っているからAudio CDで作成するべきだったんじゃないか、と。
実際に、Audio CDにして作成してみたらエラーを出さずにイメージを作成でき、Alcohol 52%で正しくマウントできました。解決、解決。わかってみれば何でもないことですが、自分のメモ代わりに書いてみました。To Heart(2じゃない方)なんかもCD-DAでBGMを鳴らしているので同様のことが起こると思われます。もしかしたら、参考になるかも(ならないか)。

ところで、Alcohol 52%って最近フリーソフトじゃなくなっているような気がするんですが気のせいでしょうか…。

と、ここまで読んだ方には申し訳ないのですが、この文章を書くためにCDの種類をNormal CDでディスクイメージを作成すると失敗する現象の再現を取ろうと、試しにもう1回Normal CDでやってみたら、なんとうまくいってしまいました。できたcueファイルの内容はAudio CDにして作成したものと同一のものでした。その部分以外の設定は最初に失敗したときと変えていないはずなので、なぜうまくいったのかはわかりません。
というか、これだと設定がNormal CDだろうがAudio CDだろうがいいことになるので上の文章は間違ってることに…。というか何で最初は失敗したんだろうか。リッピングって運不運でうまくいったりいかなかったりするものなのか? よくわかりませんが、そういうことなので上記の文章はまあそういう可能性もあるのかな、ということでご覧ください。むしろ、詳しい方教えてください…。

2009-10-05

官僚批判について

とかく、官僚というと悪いイメージが付きまとう。
やれ、天下りだの、利権がどうの、縦割り行政だの、官僚体質がどうの、と。
それに関連して公務員一般についても民間に比べて給料が高いということでよく批判される。

確かに、官僚・公務員(と一言でくくってしまうのはあまりに乱暴だが)の中にはトンデモな輩もいるかもしれない。また、公務員の給料が一般に安定しているのも事実だろう。改善すべきことは色々あるに違いない。

しかし、どうも世間では感情的に官僚・公務員を罵倒するような声ばかりが耳につく。合理的な批判ならともかく、悪意、憎悪、やっかみ、そういったものしか感じられないようないわば悪口である。

ここで、考えてみる必要がある。今の日本を作ったのは誰だろう。戦後の復興を担い、経済成長を実現させたのは。そして、今の日本を(国家という立場から)動かしているのは誰だろう。その多くの部分は官僚・公務員によっている。
もちろん民間の大半が消滅すれば日本は立ち行かなくなるが、官僚・公務員がいなくなれば国の秩序・土台そのものがなくなってしまうのだ。日本という国が形をなさなくなるということだ。かように官僚・公務員の存在は大きい。

だからといって、官僚・公務員に付随する問題を全て黙認せよ、と言っているわけはない。しかし、彼らがいなければ日本は1日たりとも回らないというのに、無責任にも彼らに対して罵詈雑言の限りを尽くすという行為は許せない。僕は、建設的な批判ではなく好き勝手な誹謗中傷を行う人に対して、怒りを覚える。

僕自身、詳しいわけではないので、具体例もなく抽象的で(したがって感情的な)文章になってしまった。以下のWebページでは、国家公務員として働いていらっしゃる方が、その実態を語っておられる。単に読み物としても面白いし、もし変な偏見、誤解を持っている方が読めば、それも解けるだろう。

国家公務員はこんなもんですよー - 明るい!?国家公務員のページ

2009-10-04

夏の大三角の覚え方

僕が小学生のときに先生に教わった星座の「夏の大三角」の覚え方。もしかしたらその先生のオリジナルかもしれない。いわく、
わしが歩いていたら、デブの白鳥がやって来て、こりゃ大変だべが。

これをわし座のアルタイル、白鳥座のデネブ、こと座のベガに対応させるわけ。

2009-09-27

研究の「今」をどうやって知る?

久々の更新になってしまいました。

研究者やその卵である大学生・大学院生は自分の専門分野で最近どのような進展があったのか、そして今熱い研究テーマは何なのかということを知るために、日々論文を読んでいるでしょう。しかし、大学生・大学院生はここで一つの問題に直面します(というか僕自身がそうです)。それはすでにプロである教授・准教授・助教でもなければ単に雑誌の新着論文を片端から読んでいっても、その分野の研究の流れ、あるいはある研究の注目度というものはわからないということです。

もし、主要な雑誌の全ての論文を数年間コンスタントに読んでいる人がいれば、ある程度その分野の流れというものはわかるかもしれません。しかし、普通の大学生・大学院生というのはそれほどの時間はないはずです。

また、論文というのはただの報告であるため、その研究が注目されているか否か、あるいは価値があるか否か、ということは読んだだけではわからず、読者自身が判断しなければなりません。しかし、学生にはそもそもある研究が重要なものかどうかを判断するだけの知識・経験が足りません。

したがって、そのような知識・経験が足りない学生がある分野における研究の流れを知り、あるいはある研究の価値を判断するには、論文の文面そのもの以外の情報が必要になります(プロの研究者は専門分野の過去から現在に至るまでの流れを熟知しており、また研究の重要性を判断できるだけの判断力もあるはずので、外部からの情報はあまり必要ないわけです(全く必要ないわけではないと思います))。

では、一体学生は何を参考にしてそれらのことを知ればよいのでしょうか。以下にぼくのやり方を紹介してみます(ただし自分でも全部実践できているわけではありません)。なおしょせん経験の浅いM1のやり方ですので「こんなの当たり前だろ」とか「こんなの役に立たないだろ」とか「もっと他にいい方法あるだろ」とかのツッコミはあると思います。よろしければコメント欄で教えていただければ幸いです。あと、僕の専門分野が有機化学であり、他の分野には通用しない可能性があることを一応お断りしておきます。

  • まずは基本ですが、参考文献を読むこと。たいていの場合、イントロ等で関連する研究、先行する研究の論文が紹介されています。全てを読んでいる余裕はないでしょうが、必要そうなものはざっとタイトル、概要には目を通すよいのではないでしょうか。
  • 総説を読む。前項にも関係しますが論文中に総説が引用されていることがあります。これも全て読んでいては重いかもしれませんが、導入からその分野の発展の流れ、最近の進展などまとまっていて便利です。
  • ある研究者に注目する。一人の研究者であんまりたくさんのテーマで研究をすることはできないので、その研究者の出している論文というのは何か一貫したテーマがあるはずです(もちろん研究テーマが一つとは限りませんが)。そこで、ある分野を代表する研究者、あるいは自分の好きな研究者の出す論文をチェックしていれば、その分野の進展状況がわかるかもしれません。
  • Angew. Chem. のVIPやJOCのFeatured Article等、「おすすめ」の論文を読んでみる。自分の好みには合わないこともありますが、少なくともその雑誌の編集者は重要だと判断したわけで、読んでみる価値があるだろうということになると思います。
  • Acc. Chem. Res. を読んでみる。この雑誌は、総説とは違いますが、ある研究者が自分の研究をまとめて解説している論文が掲載されています。ここに載る研究はある程度重要性があるものだと考えられますので(多分。ちょっと自信ありませんが)、見てみるとよいと思います。最低でもその研究の流れというものはよくわかります。
  • 論文の引用回数を調べる。これは、新着論文には使えませんが、発表されてからある程度時間のたった論文の場合、重要な論文は多く引用されると考えられることから、引用回数を調べてその重要性を測ろうということです。もちろん多く引用されているから価値がある、あるいはほとんど引用されていないから、価値がないとは言い切れませんが、概ね使える方法だと思います。Web of KnowlegeでTimes Citedを見れば引用回数がわかります。
  • 学会に参加する。僕自身学会にほとんど参加したことないので(1回化学会年会に行ったことがあるだけ)、こんなことを書くのもどうかと思うのですが…。学会では、テーマの近い研究は(場所的、時間的に)近いところに配置されるため、関連する研究を一度に知ることができます。また、研究者たちの生の反応が見られるため、ある研究の重要度というのも感覚でわかるかもしれません(このあたりちょっと推測)。

といった感じです。自分の専門外の分野の論文を評価しなければならないときにも使えるかもしれません。

2009-08-30

論文を読むこと

理系の大学院生・大学生ならば、多くの人が日常的に論文を読んでいると思う。
僕ならば、自分の研究に関連する研究、先行する研究の論文は読むし、反応を仕込む際に似たような反応が載っている論文の条件を参考にする、という使い方をすることがある。他の分野の人は知らないが、化学(有機化学)を専攻している人はたいていこのように必要に迫られて論文を読むだろう。
また、そうでなくてもちょっと気になった論文をざっと流し読みするということもある。

以上のように何かの必要があって論文を読むときや流し読みをするときというのは、文章全体をじっくり細かく読むのではなく、大事なところだけ拾いつつ素早く読む必要がある。たいていの日本人は母国語を読むのと同じ速さで英語の論文を読むことはできないだろうから、そのような読み方をしなければ数をこなすことができない。読むべき論文は山のようにあるのだ。

このように要所要所をおさえて、素早く論文を読む技術というのは研究していくうえで絶対に必要であろう。

ところで、大学院生・大学生というのは職業的に研究を行う人(教授などアカデミックポストに就いている人、ポスドク、企業の研究員等)と違って、宿題として論文を読まなければならないことがある。すなわち「この論文を読んで要旨を述べなさい」とか「評価しなさい」といった課題が出るときだ。
このような課題が出たとき普通の人はどのような読み方をするのだろう。別に知り合いにきいて回ったわけではないからわからないのだが、もしかしたら課題をさっさとすませようと流し読みをする人もいるのかもしれない。

しかし、このようなときはぜひ腰を据えてじっくり読んだほうがよい、と僕は考える。僕だったらアンダーラインを引っ張り、わかりにくい反応があれば巻き矢印を書いて反応機構を考え、必要ならば参考文献も読む。

論文を読むとき、多くの場合は先ほど述べたような流し読みをするだろうから、このように精読をする機会というのは他にあまりないと思う(もちろん自主的にそのような読み方をするなら別だが)。ああでもない、こうでもないと頭を働かせ、知らないところは調べ、ときには仲間と議論し、自分の納得のいくレポートが書けるまで考えていれば、きっと論文を読む前に比べて大きく成長するだろう。流し読みをしていても、その論文の内容の大枠はわかるかもしれない。でも、このように徹底的に読めば新しい概念が身につく。多くの知識を体系的に得られる。ただ論文を読んでいるだけのはずなのに、教科書を読んだり、授業を受けたりしているような効果が得られるわけだ。

なんか偉そうな言い方になってしまったが、せっかくの機会だから課題で出た論文はじっくり読んでみたらいいんじゃないかという話。

2009-08-27

我が英語力の無さを嘆く

今日研究室のポスドクの方(中国人)に「自分は帰りたいのだが、居室に他の人がいない。部屋を閉めていったほうがよいか。」というようなことをきかれました(英語で)。
そこで「彼は食事に行っている。部屋の鍵は閉めなくてよい。」と、答えようとしましたが、情けないことに「食事に行く」の英語が出てこなかったのです。うーん、「買い物に行く」はgo shoppingだけどgo eatingなんて言わないよな・・・。仕方ないので当てずっぽうで「He goes to dinner.」と答えたのでした。まあ、言いたいことは伝わりました。

調べてみると、go to dinnerは食事に行く、という意味で正しかったようです。でも、やっぱり駄目なのです。時制がおかしい。その人は食事に行って今部屋にはいないのだから、「He has gone to dinner.」でしょう。

こんな中学生レベルの英語も満足に出てこないというのは、結構絶望的な気持ちになれます。

よく日本人は英文法はできても、英語をしゃべることはできない、等と言われます。なぜでしょうか。思いついたことを書いてみます。

まず、文法はわかるとは言ってもほとんどの人は実際に使えるほどには身についていないということ。上記の僕の時制の間違い然り。こんなものは試験だったらみんな間違えないのでしょうが、会話だとつい言ってしまいがちです。

単語は知っていても、「その単語を使って、こんな言い回しが可能なのか」ということが判断できない。やはり上記の例だと(結果的には正しかったが)、僕はgo to dinnerという言い回しが可能かどうか自信が持てませんでした。goにしろdinnerにしろ誰でも知っているような単語なのですが、これらをつなげると途端に怪しくなります。もちろん知っている人にとっては何でもないのですが、知らない人にとっては永遠にその言い回しは使えないということです。こういうものは一つ一つ使える例を自分で増やしていくしかないのでしょう。

ちょっと話はずれますが、日本人は発音が苦手というようなことをよく聞きます。思うにこれは単に訓練不足ではないでしょうか。辞書にはせっかく発音記号が載っているのに、わざわざカタカナ発音を書き込んだり。日本語にない発音を練習してみようとしない。単語は覚えても発音、アクセントは気にしない、といった感じです。

何だかんだ言って、こういうものは少しでも練習を積み重ねるしかないのでしょう。

なお、以上の考えは、「國弘流英語の話しかた」(Amazonにリンク)という本の影響を大いに受けております。